| 「赤い牙?」 「違いやすぜ、お頭。紅の牙と言うんでやす」 間もなく中立国の海域に入ろうとしている疾風≠フ海賊船女神の涙号は、爽やかな潮の香る風を帆にいっぱいに受け、いとも優雅に進んでいる。 その船上で、いつものようにデッキチェアに長々と伸びている赤い髪の頭領レッシュが眠たそうな顔をして、新米の見張り番レトロとそんな会話をしていた。 それはこのゲイルではいつも通りの、日常的な風景なのだが… 『赤だろうが青だろうが、関係ねぇっての!畜生ッ、放しやがれ!』 ただ一ついつもと違うのは、レッシュの足元で蹲る一人の少年の存在だった。 「お?またワケの判らんこと言ってるな。竜使いさんは案外、ほどほどの別嬪さんだったなぁ」 アラブの貫頭衣に似た風変わりな上着にズボンを穿いた茶色っぽい髪をした少年は、何とかダレている獅子の身体の下からベルトの先を引き抜こうと懸命に格闘している。その様が面白いのか、レッシュは咽喉で笑うと片手を伸ばした。 『くそう、ここに来てまだたった一ヶ月ぐらいだからな。いまいち、言葉が理解できねぇ』 忌々しそうに舌打ちして、ワシワシと髪を掻き混ぜるその、剣を振るえば海をも切る、と海賊たちの恐れるゲイルの頭領の手を疎んで片手で振り払った。 「何だよ、アキラ。片言でも喋るんだから共通語を使いやがれ」 ワシッと首を片手で掴んで引き寄せると、怒った様子のないレッシュはニヤッと笑って少年の頬にキスをした。 「うぎゃあぁぁぁ!へ、ヘンなことするなッ、へんたいレッシュ!」 少年は思い切り嫌そうに両手でレッシュの顔を引き離しながら言うと、隻眼の海賊はしたり顔でニヤッと笑う。 「あ!」 ハッとして慌てて口を噤んでも既に遅く、レッシュは満足そうに頷いてニヤニヤと嬉しそうに笑っている。 「くそう…ヒキョウだ!」 「当然。海賊はそうでなくっちゃね」 事も無げにさらっと流されて、少年御崎彰は不満そうに眉を寄せて唇を噛んだ。 彰は光太郎とほぼ同時期にこちらの世界に降って来ていた。ただ、運がいいのか悪いのか、落ちた先は大海原で、北海の獅子と恐れられている海賊船の真上だったのだ。 いつも通りに長々と寝そべっているレッシュの真上に落ちたのだから、その重力の反動は彼に数日間食欲を失せさせていた…と言っても過言ではないだろう。 だが、そんな痛い目に遭っているにも関わらず、レッシュは彰を酷く気に入ったようだった。 あれ以来、彰を片時も離そうとしないのだから、その執着振りが覗えるだろう。仲間の海賊たちも呆れて肩を竦めるほどだ。 「お頭ぁ…竜使いを発見したら、ソッコーでコウエリフェルかパソ・デルタに売るんじゃなかったんすか?」 「ま、気が向いたらな」 「そんなぁ〜」 長いこと狩りをしてはいないものの、ゲイルは安泰だ。しかし、それでなくても巷が騒いでいる元凶とも言える竜使いなのだ、できれば早々におさらばしたいところである。 「まあね、判ってたんでやすよ。お頭が中立国のウルフラインに行くって言い出したときから、こうなるんじゃないかってね…」 力のない笑みを浮かべて項垂れるレトロは、交代の時間だと言ってやってきたヒースと入れ替わりで船室に戻って行った。 「何だ、レトロの奴。またお頭に念仏でも唱えてたのか」 「何だそりゃ」 レッシュが呆れたように片方の眉を上げると、遠見鏡で肩を叩いていたヒースは、ケロッとした顔して至極当然そうに言うのだ。 「お頭の耳に念仏って言葉を知らないンすか?一度こうだと決めたら何を言っても聞き入れてもらえないって言う、ゲイルでは有名な諺ですぜ」 「あのなぁ、お前ら…そんなクダラネェことを言ってるのか」 レッシュは呆れたように溜め息を吐いたが、不意に傍らの床に座っている彰が声を殺しながら笑っていることに気付いて、その頭をワシッと掴んだ。 「お前…知ってただろ?」 「うっぷっぷ…みんな、知ってるよ」 不貞腐れた子供のような拗ねた顔をしていたレッシュも、いつも神妙な表情をして空ばかり見ていた彰のその久し振りに笑っている顔を見て、すぐに表情を和らげた。 竜使いは驚くほど幼い少年だった。 巷が噂する屈強な戦士でも、ナイスバディの綺麗なおねぇちゃんでも、ましてや勇者でもなかった。何処にでもいる、ただの人間だったのだ。 世界中が手に入れようと目論む少年の本当の幸福が神竜の許にあると言うのなら、レッシュは彼を伝説の翼竜に届けてやりたいと思った。それが多少危険なことであっても、彼が望む幸福に近付けてやりたいと思ったのだ。 その気持ちが何処から湧いて、何処に流れて行くのかなどと言う厄介な感情は理解できなくても、レッシュは本能のままにそれを実行しようとしている。多少、彰の気持ちとは違うのだが、ここでも言葉の不通が厄介な事態を引き起こしているようだ。 |
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