| トーリア国の姫君は、些か不機嫌そうな表情をして目の前の甘いマスクの青年を見つめていた。 幼い頃からの許婚とは言え、出会ったのは今日が初めてなのだ。しかも、その甘いマスクに常に笑みを湛えた青年は、恐らく自分と婚姻を結ぶことなど考えてもいないのだろう。 遅々として進む鬱陶しい時間の流れに、王女は苛々としたように爪を噛んだ。 「退屈そうですね、ラーリ=トールティナ姫」 「当然ですわ。わたくしの目の前にいらっしゃるコウエリフェル国の皇太子さまがちっともお話して下さらないんですもの。とても退屈ですわ。宜しければ欠伸をしてもよくて?」 辛辣に嫌味を言ってツンッと外方向く王女に、コウエリフェルの皇太子、セイランはクスッと微笑んだ。子供染みた仕草をする姫君は、友好国であるトーリア国の第2王女だ。奔放に育った姫らしく、くるくると落ち着きなく縺れ、絡まりあった金糸のような髪の毛は羽毛のような柔らかさでふんわりと小さな顔立ちを包み込んでいる。腰まである長い髪と小さな顔立ち、気の強そうな煌く勿忘草のような大きな双眸が、遠い昔に見たあの幼い姫君を思い出させて、セイランの胸に久しく忘れていた懐かしい甘やかな疼きがゆったりと降り積もる。 「これは失礼。姫君が美しくご成長されていたものですから、私は声を失っていました」 「ご冗談を」 セイランの嘘臭い台詞にうんざりしたようなトールティナは、小奇麗に飾り付けられたドレスを早く脱いでしまいたいと思いながら、気怠げに扇で口許を隠しながら舌を出す。 (今日会ったばかりだと言うのに、まるで昔から知っているような口調…きっとこれで女性を誑かしているのね) 城を出る前に侍女たちが、コウエリフェルのセイラン皇子はとんだ女たらしだと噂していた。常に美女を二人傍らに侍らせて、城を開けては何処かへ消えてしまう。女に会いに行くのだと専らの噂らしい。甘いマスクも胡散臭いと、今日初めて会った婚約者をトールティナは持ち前の気性の激しさで扱き下ろす。 (父さまったら。わたしをこんな女ったらしに嫁がせる気なんて…お城に帰ったら延髄蹴りよ) できることなら指を鳴らしたい気分だったが、ここは他国の王城、しかも目の前には相変わらず胡散臭い微笑を浮かべた皇太子殿下までいらっしゃるのだ、トールティナはニッコリと微笑んで内心で悪態を吐いて舌打ちする。 「姫君はもうお忘れやもしれませぬが、私は貴女にお会いしたことがあるのですよ」 トールティナの微笑の裏に隠された本心を読み取ったかのようなセイランの言葉に、王女はハッとしたように顔を上げ、次いでバツが悪そうに扇で手遊びした。 「まあ、わたくしは何も申してはいませんわ」 取り繕うような台詞にも、セイランは小さく微笑むだけだ。 もちろん、洞察力の鋭い皇子のことだ、こんな子供のような姫君の上辺面など易々と見抜いていた。その内心とのギャップが面白くて、皇子は暫く黙って見守っていたのだ。 確かに、トールティナが意地が悪そうだと見抜いたように、セイラン皇子は人が悪い一面も持っているようだ。 「わたくしがセイラン皇子とお会いしたことがあるなんて…本当ですの?」 遠い記憶を思い出そうと首を捻っていたトールティナは、やはり思い出せなかったのか、柳眉を僅かに顰めて皇子に訊ねた。無害な小動物のようなあどけない仕草に、セイランはクスッと微笑んで頷いた。 「もう、随分と昔の話ですからね。貴女がお忘れになられたとしても、それは気になさるほどのことではありますまい」 「いいえ、それではわたくしの気が収まりませんわ!やはりこうして、対面したのでしょうか?」 王女が気の強そうな双眸をキラキラと煌かせて、屈託なくまっすぐに見つめてくるその眼差しをしっかりと受け止め、しかし皇子はやわらかく微笑んで首を左右に振った。 侍女たちが見ればハッと目を見張るほど、今日の皇子は優しげな表情をしていた。 どこか子供のような姫君だからだろうか、今日のセイランは比較的穏やかな時を過ごしているようだ。 「姫とお会いしたのはほんの一瞬のこと。まだ幼い貴女が許婚として我が城に訪れた時ですよ。貴女は、とても悲しそうに泣きじゃくっておいでだった」 よくよく思い出して、王女は唐突にハッとした。 そうだ、あれはまだ5歳の頃、父王に連れられて来た異国の城で、母さまと離れてとても不安で泣きじゃくる自分に、まるで商人のような出で立ちをした少年が声を掛けて来たのだ。 『どうしたの?逸れちゃったのかい?』 『父さまと一緒に来たのよ。でも、母さまがいないの』 両手を拳にして頬を擦りながらくすんくすんと泣く小さな少女に、少年はやわらかく微笑んで優しく金の羽毛のような巻き毛に覆われた頭を撫でてくれた。 『母さまがいないんだね。僕とおんなじだ。大丈夫だよ、父さまを一緒に捜してあげる』 商人の息子として認識していた皇子との一瞬の邂逅は、そう言って彼が微笑んだ次の瞬間には終ってしまった。すぐにいなくなった姫君を捜しに来た護衛兵に、彼女は父王の許まで連れて行かれたのだ。商人の息子はポツンとその場に取り残されて、トールティナはその方がいっそ悲しいと思ったものだ。しかし、彼が目の前の青年だったとは…いや、その前にその事実をすらすっかり忘れてしまっていた。 「わたくしったら…あの時は本当に嬉しかったのに。恩人を忘れてしまっていたのですね」 王女は本当に申し訳なさそうに柳眉を寄せて項垂れてしまった。 「姫君、気になさいますな。そうして思い出して頂けただけで、私は満足ですよ」 セイラン皇子があの時のように優しく微笑んだ。 トールティナは、遠い昔の記憶を思い出して、そうして今目の前で優しく微笑んでいる皇子を見つめ、自分の見解が誤っているのではないかと思った。 あの寂しい少年は時を経て、今ではこんなに立派に成長しているが、その醸し出す雰囲気はまるであの頃のまま寂しさに彩られているように感じる。 自分を見る目付きの、そのなんとも言い難い寂しそうな双眸… たった一瞬の邂逅だったが、頭に触れた皇子の優しい手の温もりは覚えている。 トールティナは困惑したような面持ちで、自分の眼前でティーカップに口を付けている生涯の伴侶となるはずの青年を見つめていた。 「コウエリフェルのお役人がオレに何のようだ?」 |
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Update:2002.2.23