砂漠地帯を抜けて漸く緑深い森の中を縦断する、現代社会のようには舗装されていない砂利道の石を跳ね上げながらルウィンたち一行を乗せたトルンは疾走していた。ルウィンの余りある魔力を糧に、長い間放置されていたトルンにしてみれば久し振りの長旅なのだ。気持ち、どこか嬉しそうに陽光を銀の車体に反射させている。 「このままいけば、2日後にはガルハに入れるな」 漆黒のコートの裾をはためかせながら、背中に必死でしがみ付いている光太郎に言ったのか、或いはルウィンの背中と光太郎の身体に挟まれて押し潰されそうになっている苦しそうな顔をした深紅の飛竜に言ったのか、はたまた誰に言ったでもなくただ呟いただけなのか、ルウィンは突き刺すように流れる風に銀髪を舞い上げながらさらに魔力を注ぎ込んだ。 歓喜の咆哮を上げたトルンがさらに速度を上げようとしたその時… 「クッ!」 ルウィンが反射的に魔力を弱めてブレーキをかけると、砂利を跳ね上げながら後輪を振ったトルンがなんとか静止した。その突然の衝撃に目を白黒させていた光太郎が恐る恐る顔を上げると、苛立たしそうに片足をついて車体を支えるルウィンが眉を顰めている。神秘的な青紫の双眸で睨み付ける先には、蠢く何かを引き連れた下卑た笑みを浮かべる薄汚い男が立っていたのだ。 「…」 ルウィンが無言で見詰めていると、男はどこか拉げたような、咳き込むような奇妙な声を上げて笑った。 「そんな旧式のカラクリに乗った連中を、簡単に通すわけにはいかねぇなぁ」 もうすぐ死にそうだったルビアがピョコンッと顔を出すとムッとしたように、金切り声のような耳に不快感しか与えない声に被さるようにして怒鳴ったのだ。 《煩いのね!どーしてルビアたちがいちいち断って通らなきゃならないの!?》 それでなくても不機嫌だったのか、ルビアの剣幕に一瞬怯んだ魔物の群れに、ルウィンはやれやれと溜め息を吐いた。 だがすぐに態勢を持ち直した魔物たちは、そのリーダー格らしい薄汚い男がキヒキヒと笑いながら舐め上げるように風変わりな旅人を、自分たちの獲物を品定めしているようだ。 「ここを通るには俺たちの許しが必要なのさぁ…ヒヒヒ」 《魔物の盗賊なんてムカつくのね!》 ムカッと牙をむくルビアをハラハラしたように抱き締めている光太郎は、困惑しながらルウィンを見上げた。その横顔は、双眸を細めて少し顎を上げる、まるで小馬鹿にでもしているかのような仕種をしている。その表情を見た光太郎は、そうか、ルウィンなら大丈夫かもしれないと安直に考えてしまった。 「金目のモノを置いていけばぁ…そうだな、許してやってもいいぜぇ」 ニヤニヤと笑う下卑た薄汚い男が言い終えた瞬間、不意にトルンが凄まじい咆哮を上げた。 ドッドッドッと腹に響くような音を立てて身震いするトルンに跨ったまま、その時になって漸くニヤッと笑ったルウィンが口を開いた。 「生憎と貧乏なモンでね。金目のモノと言えばコイツぐらいかな」 「ケッ!そんな旧式のガラクタなんかにゃ用はねぇ!お前の耳にしているピアスを寄越しやがれッ」 それはルウィンにしてみれば自らを縛る王家の証で、できればくれてやってもいいのだが、流石にこれからガルハに帰るのに無くしましたでは済まされないだろう。ましてや、言い訳など考えるだけでもうんざりする。何より、王家の証を外せないようにと聡明な母が施した、母譲りの強い魔力を制御する為のピアスでもあるのだ。だがもちろん、魔物にくれてやるモノなどたとえあったとしてもないのだが。 「嫌だね」 いっそハッキリと言ってニッと笑うルウィンのその、どこか馬鹿にしたような口調に魔物の群れはいきり立ったようだ。 《挑発しちゃってどうするのね?》 「お前ってヤツは…自分のことは棚に上げるんだな」 背後の声に呆れたように肩を竦めるルウィンに、ルビアは当然だとでも言わんばかりにツンッと外方向く。そのいつもながらの遣り取りに、どうやら心配することはなさそうだと判断した光太郎は詰めていた息を吐き出した。 「畜生!やっちまうぞッ」 薄汚れた男の合図で、それまで蠢いていたオークなどの魔物たちが一斉に咆哮を上げた。まるでそれを合図にでもしたかのように、左右の森の中から身を潜めていたすばしっこい魔物が次々と襲い掛かってきたが、予め気配を感じて予測していたルウィンは腰に履いた銀の鎖が巻きついた鞘から剣を引き抜いて薙ぎ払うように斬りつけた。 ぼうっと発光する妖剣に切り裂かれた腹部はグズグズと焼かれたように燻って、断末魔を上げる魔物に長い責め苦を強いるのだ。その光景を見て怯んでいた魔物どもを、閃くようにして飛んできた撓る鞭が急き立てる。 「ふん、魔物使いか」 襲ってきた魔物を薙ぎ払っても刃毀れ1つ、ましてや返り血すら浴びていない銀鎖の妖剣の血溝がハッキリしている腹で肩を叩きながら、ルウィンはやる気がなさそうに誰に言うともなく呟いた。 「ケケケ…俺様をただの魔物使いと思うなよ」 一瞬、濁った目玉が赤く光って、ルウィンがハッと気付いた時には遅かった。 『え!?わぁっ!!』 《光ちゃん!》 魔物使いが撓る鞭で思いきり地面を打ちつけた瞬間、一瞬気を取られたルウィンの背後で声を上げた光太郎の姿が忽然と消えてしまったのだ。腰にしがみ付いていた感触が消えて、焦ったように顔を上げた先に魔物使いが操る、まるで生き物のような鞭に絡めとられた光太郎が半べそで謝っていた。 「ルウィン、ごめちゃい」 《何やってるのね!ルーちゃん、早く助けるの!!》 呆気に取られて目をみはっていると、先端の尖った耳を引っ張りながら急き立てるルビアによって漸く気を取り直したルウィンは溜め息を吐いた。その仕種で、また迷惑をかけてしまう自分が情けなくて、光太郎は唇を噛み締めてしまった。 強くなりたい、そう思った瞬間。 『あぅッ!』 ギリッと締め付けられて全身の骨が折れるような錯覚に、光太郎は悲鳴を上げてしまった。 ムッとしたルウィンはハンドルから片手を引き抜いて上体を起こすと、ふと、ギャーギャーと喚くルビアをまるで無視して銀鎖の妖剣をビュッと振って何もない中空を指し示した。 《んもう!何をやってるのねッ》 その訳の判らない行動に苛々したルビアが頭に噛り付くようにして耳を引っ張っても、ルウィンは微動だに動かない。それどころか、却って不適にニヤッと笑うのだ。 「まあ、これでお互い様と言うことかな?」 「くぅッ!」 何もない中空を指し示していると言うだけなのに、魔物使いは悔しそうに歯噛みしたのだ。 そう、ルウィンが指し示しているその場所に、世にも珍しい姿を消せる魔物がルウィンの妖剣の切っ先に捕らえられて身動きできずにいたのだ。怯えたように声にならない声でキィキィと主に鳴いている。 「ち、畜生ッ!ソイツを殺せばコイツがどうなっても知らんぞ!!」 金切り声を上げて喚き散らす魔物使いに、ルウィンは待ってましたとばかりにニヤッと笑って言うのだ。 「殺したければ殺せばいい。その後、どうなっても知らんがな」 微妙に語尾のニュアンスを低くするルウィンの意図するところが読めたらしく、魔物使いはキィキィと喚き散らしながらも、苛立たしそうに親指の爪を齧りながら注意深くルウィンの様子を窺っている。だが諦めたのか、魔物使いは濁った滑るような双眸でルウィンを見据えながら、苛立たしそうに高い声で喚いたのだ。 「判ったよ!離してやる…」 そう言って語尾を切って締め上げていた光太郎の身体から鞭を緩めると、小柄な少年はホッとしたように慌ててトルンに跨る銀髪の賞金稼ぎの許に走り出そうとした。その様子を見ていたルウィンがハッと目を見開いた瞬間、風を切った撓る鞭が凶器となってその背中に襲い掛かったのだ。 《光ちゃん!》 ルビアが悲鳴を上げた瞬間、鋭い鞭の先端で服を裂かれて、その上皮膚まで切り裂かれた光太郎はヒュッと息を飲んで、それから声もなく倒れ込んでしまった。薄い水色の上着がジワジワと滲み出した鮮血に染まっていく。 鞭の先は、さしずめ鋭利な刃物のように鋭かった。 「ひゃぁーはっはっは!この馬鹿どもがッ!!プリントなんか腐るほどいるわ!ソイツを殺したけりゃ殺せばいいんだ。その代わり、俺はこの生意気な人間を殺してやる!!」 ヒッヒッヒッと笑いながら撓る鞭を振り上げた瞬間、それまで黙って倒れたまま痛みの為に息もできずに蹲っている光太郎を食い入るように見詰めていたルウィンの、その結んでいた唇がゆっくりと開いた。 「なんだと?」 低い、ともすれば聞き逃してしまいそうな…いや、だがけして聞き逃せない圧倒的な威圧感で零れ落ちた言葉の殺気に、魔物使いは怯んで上手い具合に鞭を振るうことができなかった。あと、もう一撃でも打たれてしまえば、恐らく光太郎の軟な背骨はへし折れていたに違いない。 《光ちゃん!》 ルビアが両手で口を押さえながら、それでもその大きなエメラルドの瞳に涙を一杯に浮かべて両手を差し出して飛び出そうとした瞬間、その足を掴まれて、そのままグイッと無造作に振り払われてしまった。 《ルーちゃん?…ッ!》 風に揺れる鬱陶しく伸びた前髪の隙間から、まるで怒りがそのまま噴き出したかのような紅蓮に濡れ光った双眸が、じっとりと魔物使いとその背後でニタニタ笑っている魔物どもを捕らえている。まるで雷にでも打たれたような衝撃で固まってしまった魔物たちの前に、ゆっくりとトルンから降り立ったルウィンが片手に妖剣を掴んでゆらりと立ちはだかった。 投げ出されてあわや地面に叩きつけられそうになったルビアは空中でくるんっと回転すると、ハッとしたように陽炎のような殺気を漂わせて立つルウィンの背中を見詰めて震えてしまった。 (ヤバイのね!) 慌てたルビアは低く飛んで揺らぐように立つルウィンの脇を弾丸のような素早さで擦り抜けると、痛みで半ば失神している光太郎の水色の服を掴んでサッと木陰に隠れてしまった。もちろん、魔物たちにそんなことを気付けるほどの余裕もない。 「殺すだと?お前たちが?…ッ」 低く呟いて俯いたルウィンの双眸と、その表情が見えなくなる。 何か、言いようのない恐怖が襲ってきたが、それでも魔物使いは怯える魔物どもを鞭を振るって叱咤するのだ。 「何をしてるんだ!この能無しどもがッ!!やっちまえ!やっちまえぇッ!!」 鞭の恐怖を何よりも知っている魔物たちは、気が狂いそうになる怯えから抜け出そうとでもするかのように咆哮して、ゆらりと立っている長身の青年に襲い掛かったのだ。 震える肩が、恐怖しているのか…? 一斉に飛び掛った魔物でルウィンの姿が消えてしまうと、魔物使いは注意深くその様子を窺っていたが、咆哮を上げて襲う魔物に手出しもできないようでいる口ほどにもない青年にホッとしたように、ニヤッと笑って脂汗が滲む額を拭った。 「ケッ!驚かせやがって。せいぜい、魔物どもの腹を満たしてやるんだなッ」 腕を掴んで引き千切っているのか、ルウィンの2倍はありそうな魔物がモゴモゴと蠢いている。悲鳴を上げない獲物に興醒めはするものの、どんな有様になるのか見るのはとても楽しい。あの、憎らしいほど綺麗で生意気なヤツが死ねば、今度はあの人間だ。飛竜もいた。 人間と飛竜は美味しく俺が戴いてやろう…そんなことを考えていた時だった。不意にモゴモゴと蠢いていた魔物の身体が弾け飛んだのだ。 「!」 ギョッとして目を見開いた先に、妖剣を肩に担いで倒れ込んでいる魔物の頭を容赦無く踏みつけたルウィンが肩を振るわせながら立っていた。 「こ、これは…どど、どう言う…ッ」 言葉にならず、かと言って喚くこともできないでいる魔物使いの前で、漸くルウィンが声を出したのだ。 「…クックック…ふ、はーっはっはぁ!バッカじゃねぇのか。お前たち雑魚がこの俺を殺すだと?」 まるで雰囲気がガラリと変わって、木陰に避難していたルビアがアチャッとでも言いたそうに両手で目を隠すと、痛みに漸く慣れた光太郎が息も絶え絶えにそんな様子を覗き込んだ。 『あれ…ルビア、ルウィンの様子がおかしいよ?』 《シッ!喋っちゃダメなのッ。見つかっちゃうのね》 『え?』 ワケが判らずに眉を寄せる光太郎の耳に、突然引き裂かれるような断末魔が響き渡った。 それは、対の瞳を紅蓮に染め上げたルウィンがニヤッと笑いながら足蹴にしていた魔物の頭を踏み潰したからだ。 『!』 怯えたように、でも、どこか信じられないものでも見ているような気持ちになって、光太郎はその光景から目が離せないでいる。 興味の失せた魔物の身体を蹴り飛ばして、漆黒の外套に身を包んだルウィンは、まるで死神のようにぼうっと発光する妖剣を肩に担いだままで一歩、また一歩と怯えて竦む魔物使いに近付いた。 「寝言はあの世に逝ってから愚痴るもんだぜ?」 怯えて声も出ない魔物使いを、それでも主と信じているのか、魔物が咆哮しながら襲いかかったが、ルウィンは容赦無くその身体を一刀両断した。ブシュウッと噴き出す返り血を浴びながらも、それでもルウィンは嫣然と嗤うのだ。そのくせ、手にある銀鎖の剣には一滴の血痕も付着していない。 「そーらかかって来いよ?雑魚どもが」 そう言って差し出した片手を上向きにクイクイと手前に振って挑発するようにニヤッと笑ったルウィンの顔には、愉悦のようなべっとりとした狂気が張りついている。その顔を見て光太郎は理由もなくゾッとした。 チャキッと柄を握り直したルウィンは、歩くことももどかしそうに、まるで血に飢えた強暴な肉食獣の敏捷さで走り出していた。その素早い動作に追いつけない魔物たちは、自分たちの身体の半分もない銀髪の青年にまるで踊るような仕種で悉く斬り倒されてしまう。しかし、もともとが殺戮を好む魔物たちだ、それでも自我を思い出したのか、咆哮を上げると応戦してくる。その反応が、よりルウィンの狂気を深いものにしているなど、命懸けの戦いでは気付きもしない。 声を上げて嗤いながら襲いかかってくる魔物を斬ったその手を返して、後方の魔物の腹に妖剣を突き立てると、軽くジャンプして前に現れる魔物の頭部を蹴り飛ばした。鈍い音がして千切れ飛んだ頭が地面に転がると、ルウィンは楽しそうに笑ってその頭を魔物使いに、まるでサッカーでもしているように蹴って寄越したのだ。 「う、うわぁあぁぁぁ!!」 呆気に取られていた両手に飛んできた断末魔の形相の頭を投げ出した魔物使いが、もう何もかもを捨てて滅茶苦茶に逃げ出そうとすると、追いついたルウィンが声を上げて笑いながら吐き捨てるのだ。 「はっはぁ!甘ぇーんだよ」 「ヒッ!?…ッ!!」 耳元で聞いた低い声に一瞬ビクッと身体を竦ませた魔物使いは、そして唐突に鈍い衝撃が背後から身体を襲ったことに気付いたが、それでも何が起こったのかすぐには理解できないでいた。 ただ、自分の胸から突き出た血塗れの雪白の腕が、身体から無数の血管を伸ばしながらドクドクと脈打つ何かをゆっくりと掴んでずるりと引き抜くその感触に呆然と突っ立ていることしかできなかった。 ブツブツと、血管が千切れる音がダイレクトに鼓膜に響いた。 「ひ、ヒィ…ひ・ひ、ぎぃやぁあぁぁッッ…ッ!」 「煩い」 呟いて、心臓を引き抜いたルウィンは銀鎖の妖剣を振って断末魔を上げる魔物使いの首を跳ね飛ばしてしまった。噴き上げる返り血を浴びて、だらりと垂れた掌に脈打つ力が弱くなった心臓を握ったままで、ルウィンは妖剣を愛しそうにべろりと舐めた。そして狂ったように笑っている。 「ルウィン!」 不意によろけながら立ち上がった光太郎が、ルビアが止めるのも聞かずによろよろと木陰から出てそんなルウィンに近付いていく。真摯な双眸を受け止める虚ろな紅蓮の瞳は、俄かに新たな獲物を見つけて禍々しいほど邪悪に細められた。 「はっはっはぁ!なんだよ、小僧?」 よろよろと近付いてくる弱った獲物に、ルウィンは声を上げて笑いながら無造作に血を欲しがる妖剣を突き出した。 ヒュッと咽喉が鳴って、薄皮一枚のところで止まった発光する切っ先を恐々と見下ろした光太郎は、それでもニヤッと笑うルウィンを困ったように眉を寄せて見上げたのだ。 「ルウィン、だいじょぶ?」 「大丈夫じゃねーのはお前の方だろ、ああ?ククク…それとも、死にたいってか?」 小首を傾げる仕種をする少年にニヤッと笑って無造作に妖剣を振り上げるルウィンを見上げたままで、光太郎は少し考え込んでいる様だったが眉を寄せると首を左右に振ったのだ。 「嫌だ」 一瞬、ちょっと眉を寄せた紅蓮の双眸を持つルウィンは、ぺろりと返り血を浴びて濡れている唇を舐めながら馬鹿にしたような目付きで見下ろしてきた。 「だって、死ぬするとルウィンと旅できなくなる。それは、嫌」 尤らしく言って一人で頷いた光太郎は、妖剣を振り上げたままで止まっている、血塗れで佇むルウィンに向かって小さく笑ったのだ。 「ルウィンと旅したい。ずっと一緒、いたい」 「下らねーな」 素っ気無く呟いて、ルウィンは煩わしいものでも追い払うかのように妖剣を振り下ろした。ルビアがもうダメだと両目をギュッと閉じて両手で顔を覆う。 助けに行きたいけれど、ルビアはその殺気に凍りついて身動きができなかったのだ。 風を切る音がしたが、鈍い、あの骨を断つ音が聞こえなくて、ルビアは恐る恐る凄惨になってしまった砂利道の様子を窺った。 「ルウィン…?」 光太郎の首の皮一枚のところで、またしても妖剣の切っ先が止まっている。 呆然と立ち尽くすルウィンの顔を覗き込みたいのに、光太郎は銀鎖の剣が邪魔して動くことができなかった。だからせめて、その名を口にしたのだが… 「…あれ?」 不意にルウィンの口から驚くほど気の抜けた声が漏れて、既に神秘的な青紫の双眸に戻っている彼は一瞬だけ困惑したような顔をしたが、素早く状況を飲み込んだらしく、光太郎の首筋から銀鎖の剣を引っ込めた。 「オレはどうしたんだ?…頭が熱くなって…耳元で煩いぐらい脈打つ音がして…それから、何かがブツって切れたんだよな」 ふと、額に伸ばした掌に、未だに握られている冷たくなった肉隗に気付いて、眉を寄せたルウィンは憎々しげにそれを捨ててしまった。 「それから記憶がない…と言うことは、ルビア。オレはキレたのか?」 《うん、ぶち切れてたのね》 漸く動けるようになったルビアが茂みから飛び出すと、小さな飛竜と光太郎を見比べていたルウィンが脱力したようにガックリと項垂れてしまう。 「あー畜生!それで血の匂いがするのか」 思いきり不満そうにポタポタと、未だに浴びた血液の雫を零す前髪を掻き揚げながら、気持ちが悪そうにルウィンの眉間に皺が寄った。その様子を見て、漸く光太郎はルウィンがもとのルウィンに戻ったと感じたのか、嬉しそうに抱き着こうとしたのだ…が。 「わーい!ルウィンだ…ぶっ!」 片手で頭を掴まれて、ルウィンの腕のリーチぐらい近付けなかった。 「抱き着くな。俺は汚れてるからな」 その言葉で、ルウィンが全身に血を浴びていることに気付いて、光太郎の眉が寄った。さすがに今回はきつかったのだろうと、ルウィンは溜め息を吐きながら掴んでいた手を離した。 「せっかく買った服。残念」 言うことはそれだけかなのか?とルウィンがちょっと面食らって、だが、光太郎らしい返答にルウィンはなぜか、少しホッとしたように笑っていた。 「ルウィン、傷ない?だいじょぶ?」 心配そうに見上げてくる黒い瞳に、ルウィンはちょっと驚いて、それから小さく苦笑した。 「オレよりも光太郎、お前の傷は大丈夫なのか?」 「へ?」 キョトンッとした光太郎は、それから徐に背中がジクジクと疼いていることに気付いて、それから改めて鋭い痛みを感じたのだ。 『アイタタタ!!…うぅ、気付かせて欲しくなかった』 あうあうと痛がって情けなく呟く光太郎に、ルビアが少しだけホッとしたように溜め息を吐いた。 《痛くて当たり前なのね!もう、無茶するの》 痛みすら忘れてしまうほどルウィンを心配していた光太郎の頭に、ふと、掌を乗せてそのサラサラの髪を撫でた。その手に気付いた光太郎が顔を上げると、ちょっと心配そうな表情をしたルウィンが首を微かに傾げて見せる。 「痛むか?」 「ちょっと。でも、ちょっとだいじょぶ」 本当はかなり痛むくせに、額に脂汗を浮かべながら光太郎はニコッと笑った。その陽光を反射させる汗に気付かないはずもないルウィンは、少し苦笑してトルンへと戻った。背中の痛みで思うように歩けない光太郎は、足を引き摺るようにしてそんなルウィンの後を追おうとするが。 「お前はそこにいろ」 肩越しに振り返って制止され、光太郎は困惑したように眉を寄せたが、だがホッとしたようにそのまま地面にへたり込んでしまった。 ルウィンは魔物の血をたっぷりと吸収して重くなった外套を脱ぐとトルンの座席に引っ掛け、その手で掛けてあった荷袋を掴んだ。内部を軽く探ってお目当てのものを見つけたのか、それを掴んでへたり込む光太郎の許まで戻ってきたのだ。 片膝をついて屈みこんだルウィンの顔を、痛みで朦朧とする眼差しで見上げる光太郎は、その男らしい綺麗な顔立ちにあの時感じた狂気を重ねようとして失敗した。 バシャバシャッと水筒の水で掌を洗ったルウィンは、手にしていた練薬を掬うと水色の上着を捲り上げて無残に走る血の滲んだ蚯蚓腫れに静かに塗った。だが、恐ろしくその薬は傷に染みる。 『!!!!!※△×!』 《なに言ってるのか判らないのね》 声にならない声を上げて思わず砂利の敷き詰められた地面を拳で殴っていると、ルウィンが呆れたように溜め息を吐いてその手を掴みながら口を開いた。 「今度は手にも傷を作るつもりか?」 「あう…でも痛い。浸かる」 「浸かる?」 またしても解読不明の言葉を言って、半泣きで見上げてくる光太郎を見下ろしながら、ルウィンは眉を寄せて首を捻っていた。 「薬、浸かる。すごく痛い」 「…ああ、なるほど」 頷くルウィンに、同じく合点がいったルビアが口をパカリと開けて言うのだ。 《染みるのね》 「うん」 涙目で頷く光太郎にちょっと噴き出したルウィンは、酷いなぁと抗議する漆黒の双眸を無視して立ち上がった。だがその顔は、思った以上に曇っている。 「?」 首を傾げていると、腕を組んだルウィンがそろそろ乾いて張り付いてくる血糊にうんざりしたような顔をして、前髪を掻き揚げた。まるでディップでも塗りつけているかのように、見事な銀髪は微かに色付いて後へと張りついた。気持ちオールバックになったルウィンの相貌を日の光の下で初めてマジマジと見た光太郎は、いつも前髪の隙間から覗くだけの神秘的な青紫の双眸が、どれほど強い意志を秘めて輝いていたのかと言うことを知ったのだった。 そして、思うよりも随分と、ルウィンは男らしい顔立ちをしていた。ふとすれば女性とも見紛う美しさは、その銀髪が彼の輪郭を淡く暈していたからこその成せる業だったのだろう。 「さて、どうしたものかな?このまま順調に行けばガルハまで2日の行程だったんだが…まさかこの姿で国には戻れないだろう」 肩を竦めるルウィンにハッとした光太郎は、見惚れていたことに気付かれないうちに照れ隠しのようにエヘへと笑う。その姿をジッと見守っていたルビアには、どうしていつも光太郎がルウィンに見惚れるたびに照れているのか、そのことが判らないでいた。 《この近くに湖があるのね》 「そうか?じゃあ、まずは水浴びをするべきだな。臭くて適わん」 べっとりと染みついた鉄錆のような金臭い匂いに生臭さの混ざったような、なんとも形容のし難い腐臭にうんざりしたルウィンが頷くと、光太郎はパタパタと羽根を動かしながら一定の場所に浮いている深紅の飛竜を見上げて首を傾げている。 《なんなのね?》 不思議そうに見上げてくる光太郎に、ルビアが気付いて首を傾げると、少年は眉を顰めて疑問を口にするのだ。 『ルビア、どうして湖のある場所が判ったの?ここに来たことがあるのかい』 《まっさかなの!光ちゃんやルーちゃんには判らないかもしれないけれど、ルビアたち飛竜族は自然の声が聞こえるのね》 『ほ、ホント!?』 《本当なの》 ニコッと笑うルビアに驚いたような顔をした光太郎は、それでも表情をパッと明るくして興奮したように両の拳を握ってワクワクと口を開いた。 『スゲー!ルビア、凄いよ!!』 《ふふーんなの♪》 小さな飛竜がやはり小さなその鳩胸を張ってふふんと威張ると、感嘆する光太郎が尊敬の眼差しでそんなルビアを見上げている。その一種異様な光景に思わず呆気に取られていたルウィンだったか、もともと感応術に優れている飛竜族だ、その流れは自然の仕組みと深い関わりがあるんだろうぐらいにしか考えてもいなかった。光太郎のように、ましてや目を輝かせるようなことではないだろうと思っていたのだ。 『わー、彰にも教えてあげたいな〜。きっと、ルビアに絶対会いたがると思うんだ』 オカルト好きの幼馴染みは、超常現象も然るものながら、想像上の生き物の存在を徹底的に容認しきっている。人間が生きていて、どうして架空だと言う生き物が生きていないなどと言えるのか?それが彰の持論であった。 《その時はこんにちはって、ちゃんと挨拶するのね》 ニッコリ笑う飛竜に微笑み返す光太郎たちの会話が、どうやら一段落したことを感じ取ったのか、腕を組んでいたルウィンはその手を解いて上体を屈めながらへたり込む少年の身体を掬い上げるようにしてヒョイッと抱き上げてしまった。 『わわわ!?』 「歩けるのか?だったら下ろしてやるが…」 その背中だとまだムリだろ?と、その神秘的な双眸が物語っている。 思うよりもずっと近くにルウィンの顔があって、今までずっと一定の距離でしか見ることのできなかったその神秘的な青紫の双眸を目の当たりにして、光太郎はなぜか赤面してしまう。 訝しそうに眉を寄せるルウィンに光太郎は慌ててうんうんと頷くと、それでもやはり痛む背中を抱えてはまだ歩けないと認めているのか、大人しく甘えることにした。 心臓の音がバクバクして、どうかルウィンに聞こえませんようにと祈りながらギュッと閉じた目を、ふと開いた光太郎はよくよく考えて、どうせならせっかくなのだからその整った面立ちを十分堪能しようじゃないかとちゃっかり思ったようだ。 眉を上げて小首を少し傾げながら小さく笑ったルウィンが、あの狂ったように笑いながら次々と惨殺していった人物と同じ人などとは、光太郎には到底思えないでいた。 何よりも、ルウィンの腕は確りしていて、不安など微塵も感じなかったのだ。 ルビアの案内でトルンに光太郎を乗せたまま、鈍い銀の光を放つ車体を押しながら道なき道を進む彼らの前に、程なくして澄んだ水を湛える湖が姿を現した。 |
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Update:2005.10.20